高瀑へは折掛石鎚線の始点(土管のあるところ)すぐで路面崩落のため通行止めです
2020年8月現在
高瀑は愛媛有数の自然景勝地であると思う。ただ扱いが大きいのか小さいのかよく分からない。一つに写真ではあの迫力がみじんも伝えられないという事が理由にあると思う。いっそwikiにでも有ればそういう物かと納得したと思うがそれもない。そこで個人的に追いかけてみる事にした。
高瀑(たかたる)
石鎚十四景のひとつとされている。古くは冠瀑とも呼ばれていた。愛媛県西条市小松町の奥深く、石鎚山の西の端に位置する西之冠岳と二ノ森から繋がる渓谷にある。河口から土居(約320m)に至り、そこから約10kmの林道を進むと高瀑研究路入り口(約980m)に到着する。尚、この林道は非常に災害に弱く出来るだけ情報を更新した上で場合によっては車両の通行が出来ない事を見越して向かう必要がある。高瀑研究路すぐに白ノベラ・赤ノベラと言われる延長120mのナメラがある。赤色は褐鉄鉱が沈着したものである。もともとの研究路は1,800m約1時間と言われていたが、当時においても荷物を持たない方が1時間20分程かけて歩く道だったそうだが、現在ではさらに道の悪化や巻き道の設定により無積雪期で約2~3時間と言われている。二度の渡渉を経て急傾斜を登った先に滝が現れる(約1,300m)。
高瀑は幅160mの断崖から落差132m(実測)で落ちる二条の滝である。水量はあまり多くなく、多くの記録では中程で霧に変わるとされる。まず全景を視界に納めたときに息をのみ、滝壺直下に至りその大きさにまた息をのむ。その後何度もカメラを掲げてその迫力がまったく切り出せないことに息を吐く場合がほとんどである。同行者とは別にたまたま人がいればそれが幸いかもしれない。
当時は秋の紅葉シーズンが良しとされていたが、近年ではアプローチの問題もあって冬期の氷瀑が人気がある。暖冬の影響もあるので寒気が入った時が特に狙い目のようである。
高瀑研究路内には赤ノベラ白ノベラ、のぞきの滝、丸渕、天狗の子育て岩等が名所としてあるが、この内のぞきの滝、天狗の子育て岩は「観光開発の基礎づくりができたわけだが、今後は途中にある小さい滝や岩などに名前をつけたり(略)」と昭和40年頃付けられた名前のようである。
キレンゲショウマの自生地としても知られている。
入り口の俳句碑は北条市元参議院速記養成所 藤井一正さんの句(秘境石鎚山麓 消えた村に光を)であり、もともとは滝壺下の休憩所に掲げられていたという事だがこちらも真偽の程は不明である。
1817(文化14年)
初めて高瀑が書物に紹介された。
1958年(昭和33年)
道しるべらしきものが出来た。当時は滝まで二日かかるような道であった。
1962~1964 (昭和37-39年)
現在の高瀑観測所まで幅員3.6mのバスも通れる道が開通。林業の兼ね合いか?
1965~1967 (昭和40-42年)
周桑郡小松町主体で登山道1.8kmのうち登山口より約500mに200万円(当時)をかけ開発。幅員1mの遊歩道や休憩所を整備した。簡易便所もこの頃のもの?
1968(昭和43年)
厚生省から自然研究路として指定を受ける。丹原土木事務所が約300万円(当時)で残りの道を整備。滝の横には15×5mの広場が設けられた。複数の休憩場所と植物に名札が付けられた。観光地として人気を集め、終点である土居から先にも夏と秋には臨時バスが出る程であった。
1990(平成2年)
愛媛県から「えひめの自然百選」に認定される。現在も有効らしくネットでアクセスできるも肝心の中身には触れることが出来ない。
1999(平成11年)
大型台風により大変な損害を受けたようだが、前後する情報が現時点では捕捉できず。
2012(平成24年)
2月に死亡事故発生。このため道の一部が巻き道に変更される。8月には沢歩きで死亡事故が発生。
補足
高度経済成長期は1955~1973年頃と言われている。反面、公害等が発生し自然回帰の動きが発生し流行した。
2004年11月周桑郡小松町は西条市へと合併された。
補足2
簡易ログからさらに推測というアバウトなことをすると現在の歩行距離は駐車場から片道2.5km程となる。駐車場まで車で行ったケースも多くないので平均値を出せる程にデータが揃えられていない。
記録
冠瀑布(かんむりのたき)を見んと欲する者は黒川宿より一里半、大平という所に至り、それより西南に向ひ峻嶺深谷を越えて行く事三里にして大ゲカ平という所に至る。それより一里登りたる所は即ち冠瀑布なり。土人多くは高滝ととなふ。巾三十丈、直下百廿五丈ありという。千足山村の土人は三百五十八間といいつたう。瀑の上頭より七十五丈ばかりは白練を垂るる如く真白にて殊に美しく、中央に至りて岩角に触れ激してたちまち観を変じ、雲霧(くもきり)となり霰雪(あられゆき)となり、飄(ひるがへ)る如く篩(ふる)う如し。船石という滝壺に墜ちて又数万ごくの明珠となり、爛燦然紛紜然として上下四方に迸り跳ねる其ありさまたとへん方もなかりけり。其響は百雷の一時に激発するごとく、天地も轟き山嶽も崩るるばかりにて真に痛快絶壮の大奇観。けだし日本第一の瀑布にして海外にもまた比い少ならむ。終
注。冠瀑圖 一葉
(石鎚先達用記より。引用か?)
1817 文化14年 冠瀑紀行
1948 昭和23年 石鎚山先達用記
(?発行日は先ながら巻末に明治辛巳とある。1881年の記録か?
1971 奥の伊予路 愛媛新聞社 1970年発行記事より
1973 愛媛の山と渓谷中予編 昭和48辺発行 山内浩著
1992 えひめ自然百選ガイドブック
2008 秘境石鎚山麓 消えた村に光を
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