続・だらだら山歩き

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日本百名山のなかの石鎚山

 1942年10月半ばのある晩であった。私は四国道後温泉の共同湯に浸りながら、浴槽の中の装飾の円塔に刻んである、山部赤人の「至伊予温泉作歌一首並短歌」を眺めていた。眺めていたというのは、「皇神祖之神乃御言乃……」というような万葉仮名だったから、むずかしくて読めなかったのだ。ただその中に「伊予能高嶺」という文字を見つけ、うれしくなってそこばかりみつめていた。その翌日、私はその伊予の高嶺を登ることに決めていたからである。
 伊予の高嶺とは石鎚山のことである。

日本百名山新装版 深田久弥著 より抜粋

 ということで、実際に読んでみた。
 もう深田氏の山好きである事と、その見事な文章回しにめろめろである。
 長くはないので是非読んでみて欲しい。
 
 前回の謎はもちろん解けている。
 氏は面河より天狗岳まで登り詰め、表参道を下ったとの事であった。
 1942年、昭和17年。
 石鎚周辺の集落も最盛期を迎えていた頃になる。
 もちろんロープウェイも無ければ、成就社は以前のもので社内には天然記念物になるような木々が繁っていたという。

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百名山の石鎚山

愛媛県の誇る日本百名山の1座、石鎚山でございます。
実際、山に入る県民としてはどこから見てもなんとなく目に付く山、ぐらいな気はします。

ブログやヤマレコ?なんかを見ると
「簡単だったよ」「そんなに凄くないよ」「鎖は立派だよ」
みたいなのも見えて、なんとなく(´・ω・`)

しかし、しかしですよ。
深田久弥氏が百名山を選定したのは昭和30年頃。
そもそも戦前に登り詰めた実体験から選考されたと言うことです。

ということは

ロープウェイもスカイラインも無いんですよね~
バスは合ったように記憶していますが。
選定された石鎚山とは
今宮、黒川、西之川が表参道であった事ですしそちらからアプローチしたのか。
もしくは松山から梅ケ市、そこから堂ヶ森を越えて詰めたのか。
面河が景勝地だと唄われはじめたのはいつ頃でしたっけね?

いずれにしてもロープウェイを使った4倍は山を堪能されたんでしょうね~
日帰りはけっこう辛いなぁ。。。

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