注釈西条誌
222頁
御塔別れの道
常住よりここまで六町程あり。左へ入るなり。
昔は先ずこの道より未踏を経、窟(いわや)の大日如来を拝す。
これを一の業という。
それより夜明しという処へ出ず。夜の明ける待ち、弥山に登りたり。
八、九十年前、今宮の今の八右衛門の祖父の代迄は、しかありて、
今の弥山道は、下向道なりしが、嶮路夜中の登山宜しからずとて、
前神寺より、かの下向道を、弥山参詣の本道と定め、夜行を禁じ
たりという。
一の坂 表白坂 ぜんじ 剣の禅定
かの本道よりゆけば、これらの地をわたる。表白坂、最も嶮なり。
木の根、岩角をよじて登る。剣に、大つるぎ、小つるぎの名分かる。
岩聳えて峰をなし、鋭き事剣の形に似たり。よって名づく。誰の納め
たるや、昔は錆びたる剣有りしという。
早鷹 大久保 夜明し 天狗岳 鋸峰
つるぎより、早鷹、大久保等を経て、夜明しに至る。ここ少し平らか
なり。(略)
という事らしい。
ということは、八丁より下って御塔石に向かうわけだが、
当たり前に考えるならば刀掛へと一度下り、そこから御塔石を経て
。。。。
となると、表白坂というのは禅師、前社ヶ森の前の登りになるのか。
ということはやっぱり、八丁から刀掛に出て御塔石を経て、おそらく
祈の滝にさらに下り、十字分岐あたりから八丁に登り返し、、、、
というのが本来の参道という事になる。マニアックすぎるね(ノ∀` )
よく分からないけれどもそのうちまた考えてみたい。
2017/4補足
自分で読み返すと読み解けていなかったように感じる。
昭和22年版地形図を見るに、これは八丁から十字分岐におりて、
さらに滝業がしたい場合は御塔をさかのぼり、そうで無い場合は
御塔石を経て窟を見て夜明かしに上がっていたという事では無いだろうか。
当時の前神寺奥ノ院は成就にあったんだったっけ?
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