地図探しが一段落した(笑
何言ってるんだと思うかもしれませんが、地図を探していたのです。
スカイラインが通る前の地形図を。
正直、山に持って入るには1/5万の地図がいいですね。
だって山座同定に便利だから。
まぁ、磁北線引いてないけどな( ・ิω・ิ)
これが現行地図の1/5万。
平成8年発行。1/5万って省略された道があるんですよね(o゚ω゚o)
昭和44年発行
もちろんスカイラインは既に土小屋まで来ていておそらくほとんど今と変わらない。
すごいですよね。もう何十年も経ってるのに。
しかし、なぜ夜明ツナノ平の道が残っているのか。
想像ですけど、土小屋から弥山を踏んで、夜明から御塔石を見て土小屋に帰る行楽パターンを
加味しているのかな?
どうでもいいけど、これぐらいの時代のものだとまだ面河→弥山→土小屋→瓶ヶ森が
おすすめパターン(o゚ω゚o)
ちょっと破線が見にくいのですが最近手に入れたもの。
小森への破線がある。なんで大森山鉱山への道がないのかよくわからんぐらいに(笑
あとこれ、刀掛から表参道へ上がる道が今と違うんですよね。成就の手前に付いている。
地図って、発行される前に当然測量されるから、昭和10年程度には道があったのかしらん?
ただなんで道が付け変わったのか気になるところ。
野地鉱山が重要になって、成就への中継に使われて今にいたるのかもしれないなーと妄想します。
今宮や西之川から成就に上がって一服して鉱山に降りる、と、か?
間に横たわる時間を思えば、人工林が一世代超えているでしょうし付け変わっても不思議ないですけど。
あとまたこれわからん直線は多分、木材の飛ばしに使った索道だと思われ。
流され橋ぐらいから流していったのね。
西之川、小森と鉱山の関係だろう最大発展当時ぐらいじゃないですかね? 適当に言ってますが。
あとこれを見ると、今の西之川岩原の石畳はどっちかというと小森・大森鉱山への道だから整備したんですかね。
もちろん信者へのお接待でもあったのでしょうが。
この当たりの鉱山は西之川からの通いがメインだったという話しですし。
あぁでも私は城は触ってないから実は別のなにかも絡んでいるのかもなぁ?
昭和28年もの(o゚ω゚o)
25円(゚∀゚ )
すぐお隣の瓶ヶ森。これは現行版です。
まだ幾島新道も乗ってるのですが。でも現地ではもう分からなくなっているという事なので。。。
次の地図だと菖蒲峠-瓶ヶ森はなくなるんじゃないかなーと、ちょっと寂しい。
歩いた事ないんですけどね(ノ∀` )
昭和44年版。
逆に新道しかない。
そして瓶ヶ森林道がない(゚∀゚ )
つまりこの時代だと、瓶ヶ森-笹ヶ峰あたりはゴールデンルートだったと思われヽ( ^∀^)ノ
で、昭和28年版。
一番すごいことは東之川の建物の数がいまと全然違う!?
というか台ヶ森ぐらいまで建物があるような表記に見えるんですよね(゚∀゚ )
この時代だと、西之川瓶ヶ森っていうのがメインルートだったんですかね。分かりませんが。
どうでもいいけど、菖蒲峠は西條誌にも記載のある古い名所です。
むしろあっちは生活道デス。
そこから延々と別子銅山まで馬車が通ったという話しだったような気がする。
人間すげぇ!!!(゚∀゚ )
地図と言えば、ロードマップにもある綱付山があるわけです。
一応登山道もあるらしい山ですが。なんでこの山に名前があるのにもっと高い山には無いの?
残ってないの?
と思うんですけど、あれは3つの領地の境界だったから残ったという流れみたいですね(ノ∀` )
私はソロですし地図にある程度の山の名前しか存在を知りませんが、
山の名前が忘れられる前に誰かまとめてくれませんかね(ノ∀` )
もしくはどこかにないですかねヽ( ^∀^)ノ
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